KIRETA OTAKU

カルチャーは、定義ではあるが、別に個性ではない。
別にあなたがどのような人間かは定義しないし、あなたがどこに所属しているかを定義はしない。
どのような音楽を聴いているかであなたの個性は決まらないし、むしろ同族意識を持っている方が危険だったりする。

 

 

東京藝大で向井秀徳のフリーコンサートがあった時、会場は「サブカル」の人間で埋め尽くされた。
まずこの段階で既にちょっと気持ち悪い状況にはなっているが、別に藝大にも向井好きがいるから呼ばれたのだろう、という思考で落ち着かせておこう。
肝心だったのは、別にサブカルの人間は一目見ただけでは、サブカルチャーが大好きな人間だとはわからないということだ。


当然ファッションなんて千差万別なので、よっぽど詳しい人じゃない限り、見た瞬間で「こいつ・・・」となることは(さほど)ないと思う。強いて言うならば、例えば古着は見分けやすいけど、古着はサブカルの要素であって定義ではない。皆同じような服装で同じような音楽を聴いていたら、それはすごく不気味なことだし、ロックからかけ離れている。だが、この瞬間においては、別にそんなことは無いわけだ。

 

 

だが!!!!!!!!!オレをイライラさせるバカな人間がいるのだ。

 

 

最前列で待機して、向井秀徳が登場した瞬間、キャーだのひゃーだのと黄色い声を上げる、黒髪ボブの見るからにアホな女とか。隣の男になだめられていたが、こんな女と一緒にいる男もたかが知れているぜ。
四角で変な色のメガネをかけ、早口でモゴモゴとナンバガうんちくを垂れ流す、低身長の男二人組とか。汗が臭かったぜ。学生の時運動していなかったのが良くわかる。

 

俺も同族なのか。間違いなく趣味は同じだが、俺とこいつは同じなのか。
多分違うのだ。全く考えていることが違う。全くだ。
結局人間性は何が好きかでは決まらない。ある程度コンテンツを絞れば、当然似通った人も増えるだろうが、やっぱり決まらない。全然違う。ぜんぜんちがう。

 

こういう輩は秋葉原にもいるだろうし、なんなら高校のクラスにもいた。別に俺とは関係なかったが、やっぱりいた。
今、俺が輩共について言及しなければいけない状態になったのは、要するにあまりに俺たちに近い存在になってしまったからだ。
こんな奴らがいい音楽を書いたり、いい文章を書けると思うか?面白い話をしてくれるか?自分を顧みないやつが、どうやって自己表現をするのか。
『お前たちは自分の趣味のマイナーさに驕り、自分を過大評価していないか?
何を好きになるかは、お前自身じゃなくてお前の過去の経験が決めるんだぜ。気付いたことがあるかい?自発的なものじゃないのさ。
勿論程度にもよるがね。』

 

 

 

俺の周りにいる人たちは本当に素敵な人たちで、自分の社会的な立ち位置をいつもよく考えている。素敵な人たちだ。考えているから、その分生き辛そうで苦しんでいる。皆苦しんでいる。苦しみを美徳と思わないが、苦しみの分だけ思想がある。思想はあった方がいい。人前で上品になれるし、落ち着いて生きていける。

別にこの世の全員が文化的生産をするべきだ!!!なんてけったいな思想を持っている訳ではない。ただ、人間的に良く出来ている奴であろうぜ、というだけの話だ。いい年して他人にドン引きとかされたくないからね。
俺は突然大きい声を出すのとか、モゴモゴ喋るのを早く止めたいね。きっと引かれているからね。

 

 


「カルチャー活動」という言葉についても少し言及しておきたい。俺はこんなにダサくて狂った言葉を世に放ってしまったことを、かなり後悔している。これはひどい言葉だ。何故か?自分の趣味を、高尚なものだ、と誇示しようとするいやらしさが溢れているからだ。ちょっとマイナーな映画を見ている自分を、別に作家でもなければ大した理解もしていない癖に(それは勿論程度に依るけどさ)、偉くて文化的に優れていて高尚だと思っている。その上(その癖に!)、自分をカルチャーというカテゴリに当てはめて、定義してしまう。これがどれだけ下品か皆さんはお分かりですか?これは自分自身についての思考をしない人間がする行為ですよ。あなたにはあなただけの過去と思想があるじゃないですか。勿体ないよ、マジで。

 

俺がカルチャーがどうこうみたいな発言をして、それが他の人をいらだたせたり悲しませたりしている気がして、本当に良くないとは思っています。

私は皆さんの趣味には一ミリも言及しません。色んな趣味があって、それがどのようなコンテンツであろうが関係ないです。別にKPOP聞いていようが、原神をやっていようが、キモいノイズとか聞いていようが、いい人はいい人だと思います。

そして何より自分の趣味を誇りをもって楽しんでいる人が俺は大好きです。カッコよくて尊敬しています。皆目を輝かせて自分の好きなものを享受して、分析して、語らっています。そうした瞬間はカルチャーのもたらす最も美しい光景です。

問題はどんな人かってただそれだけです。俺は、「カルチャー活動」なんて言うやつとは仲良くなれないというだけです。面白半分でも使えないです。

だってさ、俺これから音楽を本気で作ろうって言うのにさ、自分の活動を「カルチャー」の一言で済まされたら、俺もうこの世にいる意味なんてないぜ?

 

そういえば向井秀徳のフリーコンサートで、制服を着た女子高校生が一人で見ていた。軽音学部に入っていたりするのだろうか。誰とも話が合わなくて、一人で見に来たのだろうか。これから素敵な人になっていくのだろうと思った。