2023/11/15(前書き、及び近日の狂った私について)

一週間が経過しようとしている。心療内科で鬱の診断をもらってから、俺は完全に全ての責任、仕事、課題を放棄してしまった。

 

責任感を強く感じる俺にとって、全てのことを投げ出すのには少し勇気が必要だった。授業に出ないこと、バイトを休むこと、サークルのコピーバンドの予定を蹴ること、人との付き合いを断ち切ること、SNSを消すこと。連絡を取ると皆慰めの言葉を送ってくれるが、そこからは少なからずの失意を文から読み取ることができる。失意を感じられることが俺にとって一番怖いことだったのだろうか。わからない。とにかく今俺は授業にも出ていない。大学の授業は何の責任も負わないからサラッと休めてしまう。

今まで当たり前のようにしていたことが、「プツッ」と小さな音を立てて何もできなくなってしまった。これは何の音だったのだろうか。緊張の糸が切れた音、感情を司るコネクターの切れる音、はたまた社会活動のための電源ブレーカーが落ちた音。もしかしたら全部が切れてしまったのかもしれない。

 

体の制御が効かなくなってきたのは、学祭が終わった直後だった。動悸が酷くなっていた。立っているのも辛い時があった。

学祭の直前はあらゆることが立て込んで大変だった。課題もやたらと多かったし、サークル関連の仕事、長時間のバイトで、自分の時間なんてものは無くなってしまった。朝5時に目覚めると、不眠で体が締め付けられているような感覚になる。学祭自体はとても素敵な時間だった。音楽は俺にとって何よりも重要なものだから。音楽を聴いたり演奏している間は、自分が自分を超えていく瞬間だ。自分のなりたい自分に勝手に自分が飛び出して向かっていく。羽ばたいているような気持ちになる。三センチくらい浮いているのではないかしら。

学祭が終わった後の飲み会で、突然涙が止まらなくなるフェーズがあった。「どうして俺だけが苦しい思いをしなければいけないんだ!!!!」と泣き叫んでいた。言葉が何の思考も介さずに出てくる時、私は自分の言葉にハッとさせられることがある。それは音楽と同じだ。

当然、皆きっと私と同じように苦しんでいるだろう。俺はもう他人や社会の中の一個人としての俺を見失っていたのだろうか。俺は俺でいることに精一杯だった。それももう限界に達してしまったのだが。

 

精神が苦しめられると肉体が苦しみを訴える。不眠、下痢、動悸といった症状。薬を処方してもらって不眠と下痢はだいぶ楽になった。動悸はまだもう少し続いている。特に考え事が止まらなくなった時。数十分布団にこもって後悔したり嫌悪感に苦しめられたり怒りを抑えられなくなったりして、突然自分の状態がおかしいことに気づく。こんな状態、インフルエンザの時の自分と同じだとようやく気がついて、ようやく心療内科に向かった。

医者は止めどなく来る患者を捌くのに精一杯だ。簡単に処方箋も出してくれたし、ちょっとしたチェックシートごときで俺をうつ病だと言い切りやがった。せめて脈くらいみやがれ。心電図でもとってみたらどうだ。豚メガネ。くたばれ。

違う。これは全く違う。俺は本当は話を誰かに聞いて欲しいのに、理論的に人間の状態を捉えるのが本業の人に助けを求めたからこうなるのだ。薬をもらえた、診断書をもらえた。これで十分なのだ。ただ、それは根本の解決にならないって、ただそれだけ。

 

自分の時間ができて数日してから、俺は音楽を聴いたり映画を見れるようになった。集中して何かに向かうのが辛かった時期を抜け出すと、ようやく落ち着いて何かを享受できるようになる。この一週間で九本くらい映画を見たが、特に良かったのはパリ・テキサス、それにジム・ジャームッシュのナイト・オン・ザ・プラネット、あとはゴダール勝手にしやがれソラニンもみたが、これについては気持ちの悪いオタクのキモキモ語りになってしまうだろうからやめておく。音楽は適当に聴きまくっている。ただ激しい音楽はまだ聞けない。そもそも最近あまり聞いていないので当分聞くことはないだろう。

これがここんとこの俺。